呪術廻戦00巻では祈折本里香が菅原道真の子孫であり、菅原道真は日本三大怨霊の一人だったということが明らかにされました。そして日本三大怨霊はあと二人存在しますが、偽夏油(羂索)もこの二人のうちどちらかの子孫である可能性が高いとされています。
そこで今回は日本三大怨霊である3人と偽夏油がそのうち誰の子孫なのかを考察していこうと思います。
【呪術廻戦】菅原道真は日本三大怨霊の一人!偽夏油もその誰かの子孫である可能性が高い
呪術廻戦では菅原道真が日本三大怨霊の一人とされていましたが、実際にも歴史上で菅原道真は日本三大怨霊の一人として存在してたことがわかりました。
さらに三大とあるのであと二人存在しています。
それが平将門と崇徳天皇です。
平将門は平安中期に存在した関東の豪族であり桓武天皇の血を引いているとされます。
崇徳天皇は平安時代の日本の第75代天皇であり鳥羽天皇の息子にあたる人物であります。
この菅原道真、平将門、崇徳天皇の3人が日本三大怨霊として実際の歴史上に残っているようです。
そして偽夏油(羂索)はこの菅原道真を除く2名のどちらかの子孫である可能性が高いのです。
まずはそれぞれの怨霊となった理由や呪いなどを見ていきましょう!
【呪術廻戦】菅原道真の怨霊としての呪い
菅原道真は幼少期から神童と称されるほど才能に満ち溢れており、その才能などが天皇にも認められて官僚のトップになります。
ただしこれをよく思わなかった周囲の人間から反感をくらい自分の娘婿を天皇にしようとしたなどの嘘の密告をされ九州へ左遷されてしまいます。
左遷されてからも自分の無実を天に訴えながら、苦しい生活を送りそのまま息を引き取るのでした。
菅原道真が死亡してまもなく左遷に関係した人間が次から次に亡くなり、しまいには天皇のいた場所に雷がおちその影響で当時の天皇は病に伏したとされています。
菅原道真の左遷に関わった人が次々に命を落としたため、菅原道真は怨霊になったとされます。
ただその後は祟りを鎮めるため太宰府天満宮などを建てて崇めるうちに学問の神様としてあがめられるようになったようです。
怨霊から神様に変わったのは日本三大怨霊の中で菅原道真ただ一人です。
そして祈本里香も一時期は怨霊になりますが最後は怨霊から元の健全な魂に戻り無事成仏しています。
こういう観点からも祈本里香の祖先が菅原道真だったという設定にも納得です。
逆に残る二人は怨霊のままなので作中で描かれるなら敵勢力に値するでしょうね。
【呪術廻戦】平将門が怨霊としての呪い
平将門は平将門の乱を起こして関東一体を制圧しますが、のちに敵勢力から送られた刺客により討伐され首をはねられてしまいます。
そしてさらし首にされるのですが、その首で不可解な現象が起きたとされています。
・首だけになっても数か月間目を開けていた
・さらし首が自分の胴体を探して「俺の胴はどこにある」としゃべった
・首が関東の方へ一人で飛んで行った
その呪いは現代にもいたり、平将門が祭られた場所を取り壊そうとしたもの全員に不幸な出来事が起きたりなどしているようです。
その場所は千代田区大手町にある「将門の首塚」というところです。
そして日本三大怨霊と呼ばれる原因となった出来事があの関東大震災です。
あの震災で当然「将門の首塚」の周辺も被害にあいました。
そして復旧作業をするためにその「将門の首塚」の近くに仮庁舎を建てたところそれに関わった大蔵省の職員が次々に病に倒れてしまいには大蔵省大臣が死亡するという事態になったのです。
この事件があってからはすぐに別の場所に仮庁舎を建てて事なきをえたようですが…
そして「将門の首塚」を荒らしたからこのようなことが起きたと噂され、平将門が日本三大怨霊として認定されたのです。
平安時代から現代にまで引き継がれるまさに強力な呪いとなっているようですね。
【呪術廻戦】崇徳天皇が怨霊になった理由
崇徳天皇はこの三人の中でもかなり悲惨な人生を歩んできたとされる人物であります。
鳥羽天皇の子供として将来天皇になることが約束されている身分でしたが、実は鳥羽天皇の祖父と自身の奥さんの間に生まれた子供であり内心では相当忌み嫌っていたとされています。
そして崇徳天皇は天皇になれず派閥争いに負けて讃岐の地に飛ばされたとされています。
そこで仏教にはまり写本をつくりそれを反省のしるしとして京の寺に置いてほしいと送りますが、これには呪詛が込められていると京にいる天皇が拒みました。
そのことに激怒した崇徳天皇は自分の舌を噛切り、その血で写本に恨みを書き続けたとされます。
そして報いることなく46歳の時に死去されています。
その後は【延暦寺の強訴訴】、【安元の大火】、【鹿ケ谷の陰謀】などの災厄が起きています。
そしてその災厄を起点に天皇と平氏の争いが起こる恐ろしい結果となっています。
【延暦寺の強訴訴】
延暦寺の民衆が国に対して起こした訴えですがこれをきっかけに天皇と平氏の間で政治的路線の対立が始まったとされるもの。
天皇と平氏が対立する原因になったとされています。
【安元の大火】
1177年5月27日に平安京内で起こった大火災のことで、首都である京の3分の1が燃えてしまったとされる大火災のことです。
放火ではなく自然と発生した火災が風にあおられて大きくなったとされています。
【鹿ケ谷の陰謀】
1177年6月に京都で起こった平氏打倒の陰謀事件
天皇側と平氏側で対立してしまったことをきっかけに、鹿ケ谷で天皇が平氏を討ち滅ぼす計画を練っているとされた事件です。
その密告を受けた平氏はすぐに刺客を送りその場にいた重臣を捕らえて多くの人が殺害されました。
【呪術廻戦】偽夏油(羂索)が平将門の子孫として登場している可能性が高い
実は偽夏油(羂索)が平将門の子孫として登場している可能性が高いことが考えられます。
その理由として平将門は首が飛んでも目を開けていたり、動いたりしていたという伝説がありますがこれが偽夏油を操る羂索に共通するのです。
羂索は脳だけの存在であり、人の身体の脳を転々とすることで1000年以上生きながらえています。
この首から上を転々とするというアイデアが平将門の首が動くという伝説を参考にした可能性があります。
平将門も首から上だけで動くことができ自分の胴体をさがしていたとあるように、偽夏油(羂索)も生きるために誰かの胴体を探しているのでかなり一致すると思います。
ただし、羂索のモデルはすでに存在します。
なので羂索の祖先は平将門であり、羂索も日本三大怨霊の子孫だったということになります。
ちなみに残る崇徳天皇ですが恐らく作中では出てこないでしょうしモデルにもならないと思います。
天皇なので漫画のネタにするとちょっと問題が起きてきますからね。
なので日本三大怨霊のうち2人はすでに登場していることになります!
呪いをテーマにしている漫画の為日本三大怨霊とされるそれぞれの呪いは参考にされていると思われますね。
まとめ
・菅原道真は日本三大怨霊であり、実際にも日本三大怨霊というのは存在した
・日本三大怨霊は菅原道真・平将門・崇徳天皇の3人
・偽夏油(羂索)は日本三大怨霊である平将門の子孫である可能性が高い
呪術廻戦は呪いをモチーフとした作品の為、きっと日本三大怨霊は重要なキャラクターのモチーフやアイデアになっているでしょうね。
そして呪いの伝承から偽夏油(羂索)の祖先は平将門が一番可能性としてあり得ると推測されます。
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